建築家 寺本健一|神社や里山里海、近代的な風景を考え直すときのヒントを求めて|双葉町メッセンジャーインレジデンスレポート#4
2024年11月27日
2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。
メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、建築家の寺本健一さんにインタビューをしました。
「ヒラクフタバ」プロジェクトとは:「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。Webサイト:https://www.hiraku-futaba.jp/
寺本健一| 建築家 | 「office of Teramoto」主宰。 東京理科大学大学院修了後、ロッテルダム、東京の設計事務所に所属。国内外の様々なプロジェクトを担当。2012年にドバイに拠点を移し「ibda design(後にwaiwaiと改組)」を共同経営。アートセンターやモスクなどのデザインで受賞歴多数。2021年に帰国し千葉県の勝浦市に「office of Teramoto」を設立。同年ヴェネチアビエンナーレ国際建築展UAE館のキュレーターとして金獅子賞を受賞。
ー今回のメッセンジャー・イン・レジデンスについてはどのような意識を持って現地に行かれたのでしょうか
双葉の未来の風景について考えたいと思って現地に向かいました。今回は事務所のスタッフと2人で双葉に向かいました。双葉には行ったことがありませんでしたので、現地に行く前にいろいろ下調べをして、いくつか自分なりの狙いを設定しました。ひとつはすべての神社を回ることで、Googleマップですべての神社を事前にマッピングしておきました。もうひとつは、都市的な事象よりも里山や里海に関心があったので、川の流れや水源のある山の中や川下の海を見に行きたいと思いました。それらの場所をGoogle マップで事前に確認してから現地入りしたので、双葉町をかなり広域に渡ってドライブできました。できるだけ行きたいところに自力で入りたかったので、千葉から5時間かけて自家用車で行きました。
ー実際に現地を回ってみていかがでしたか
双葉町内の大半の神社は見ることができたのですが、水源や溜池のある川の上流部分は立入禁止区域のゲートの先、つまり除染が終わっていない地域にあることが多くて、見に行こうとしたことによって、入れない場所がまだたくさんあるという現実の状況を目の当たりにしました。要するに水源はほとんど見ることができなかったです。まちだけを見るのであれば行けるところはたくさんあったのですが、私が関心を持っている昔からある里山的な風景を見たいと思うと、そういった地域はまだ立ち入ることができない範囲も多いのだと実感しました。また実際に神社を巡ってみると悲しい状況にも遭遇しました。神社は地域の人が手を入れることで森が整備されていたり境内が清められるのですが、そういうことが10年以上もできず、多くの建物は廃れていました。一方で、誰かが掃除をしたのだろうなという気配を感じたり、新しく建て替わっている神社もありました。人々の思いを神社は反映していると思っています。神社を訪れると、その場所の凛とした感じから、そこに住む人々のコミュニティに対する敬意などが読み取れます。それはどこの地域でも同じです。
ー神社や水源を巡られる中で、どんなアウトプットをイメージされていたのでしょうか
今回の双葉の訪問ではたくさん写真を撮りました。結果的にいま編集で使用している写真は、神社をはじめ川にかかる橋や谷戸の風景など、昔からそこにあって50年後もあるだろうなと思った風景の写真です。双葉だからという独特な部分を取り出すことを狙うというよりは、日常的な風景の中に未来の風景のヒントを見い出したいと思って作業を始めました。事務所の壁に双葉で撮ってきた沢山の神社の写真を並べて一望にしてみると、神社自体はどこにでもある普通の神社なのですが、実はそれぞれに意匠が違うことがすごくよくわかりました。だから、私のアウトプットは、これが双葉の特徴ですといったものにはならない気がしています。それよりも、ある地域の未来を描く前の、どういう風景がそこにあってどんな建築材料が使われているかなどを記録していく作業から始めたいと思いました。日常的な風景の写真を、あまり感情を入れずに、同じ類型のものをまとめて一望できるように一枚の紙にレイアウトしています。それらはどれも50 年前からあって、50年後もある風景だと思います。それらの風景に古いとか新しいとかはなく、すでに未来の風景なんだという考え方です。そのためにタイトルは青写真、ブループリントとする予定で、写真を青色、正確にはシアンのインクだけで印刷しています。青写真という言葉には未来の予想図という意味も含まれているので、過去や現在の風景も青写真としてプリントすると未来の風景を表す写真になるという意味を込めています。たくさんの写真を撮ってきて全部並べて類型化し、分類して、レイアウトし直してみる。それだけなのですが、青写真だけの冊子をつくるのなんて初めてです。この写真をメインにしたアウトプットにどういう意義が見い出せるのか、写真論の本などを読み直して考え方をより明確にしようとも努めています。例えばベッヒャー夫妻というドイツの写真家が、1960年代に給水塔や溶鉱炉などの近代遺構を淡々と撮影して並べただけの写真集を出版しているのですが、彼らの手法にも大きな影響を受けています。彼らは被写体を類型化して並べてみることによってそれぞれの微妙な差異が明らかになるということをやっているのですが、そこから給水塔などの無名なオブジェクトをも作品として見る視点を学ぶことができます。双葉の現地では、新しく建設されようとしている風景よりも、匿名的で日常的な風景のほうに関心が向かいました。そんな時にベッヒャー夫妻の試みを思い出したことが、今製作中のアウトプットのイメージに関係しています。
ーそういったことは寺本さんが今まで設計活動をされてきた中で培ってきた思考と連動しているのかなと思います。制作されているアウトプットへの思いを教えてください
私は現代建築家として、近代的なものに対してある種の批評性を忘れないように活動したいと思っています。これからの50年100年と、さらに長いスパンで風景を俯瞰しようとすると、原子力発電所のような近代的なるものの全てが存在し続けるわけではないと思います。だから少し遠い過去と少し遠い未来の間の長い時間のスパンで双葉を見直し、近代的な事象が起きた期間は短期的であったという視座も忘れないようにしたいのです。現地ではやはり、原発事故や津波被害に対する応答に特化した都市復興の概念が先行しているという印象を持ちました。それとは異なる視点も含んだ方法で未来の風景や建築を考えておきたいと思ったのです。建築の設計をしていると、近代的なるものを批評的に捉えることで現代的な気づきを得ることがあります。だから、神社や里山里海の風景には、近代的な風景を考え直すときのヒントがあるのではないかと思っています。そういう関心もあって、私は3 年前に中東のドバイから日本に戻ってきた時にも、東京ではなく千葉県の勝浦という地方を活動の拠点に選びました。その勝浦で地域を知ろうとした時にも、先ず昔からある神社や、いわゆる里海里山的な風景を巡ることから始めました。そうするとやはり日常的な昔からある、どちらかと言えば無名な漁村や農村の風景などに感心したりすることが多いのです。そういう私なりの風景の捉え方や見方が、今回のアウトプットと連動していると思います。
ーこれからの双葉についてどのような考えを持っていらっしゃいますか
原発事故という人災で、そこに住む人たちは家を失い家族もバラバラになってしまったという事実があることは、とんでもない事態だと思います。だから原発自体を点的な存在として見るということは感情的には難しいことです。一方で、その問題を起こした近代という時間を、人のライフスパンより長く存在し続ける風景と共に考える機会が双葉にはあると思い直しました。私自身が消滅可能性自治体のひとつである千葉県勝浦市に住んでいることもあり、そういう地域のありようを、できるだけ長い時間を意識した引いた目線で見て捉えたいと思っていました。双葉は期せずしていきなり人がいない地方という状況のトップランナーになってしまったわけですが、見方によっては日本の地方の最先端課題を持つ場所として見ることもできると考えています。
ー双葉町での滞在で感じられたことを、寺本さんなりのアウトプットを作成し発信されることになりますが、今後双葉町とはどんな関わりを持っていきたいと思っていらっしゃいますか?
私は建築家ですが、単純に建築物の設計だけが私の業務になれば良いとは思っていません。具体的な建築設計に臨むその一歩手前のものの見方や、この世界の見方というものが、やがて現れる未来の建築にも反映されると思っています。これまでも与えられた要項にただソリューションを与えるように建築をつくるのではなく、その要項の準備されるひとつ手前の、建築の持つ可能性や期待されていることを考えながら活動してきたつもりです。双葉についても、まずは風景の見方、時間の捉え方などから考え始めたいと思いました。そのためにも、人と人の対話だけではなく、同時に風景との対話、歴史といった長い時間との対話も必要になるでしょう。対話においては、自身の価値観や対象に対する敬意が問われるので、そこをいつも鍛えておかなければいけません。