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カメラマン 中村晃|自由に見る双葉町|メッセンジャーインレジデンスレポート#8

2025年6月13日

2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。


メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、カメラマンの中村晃さんにインタビューをしました。


「ヒラクフタバ」プロジェクトとは:「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。Webサイト:https://www.hiraku-futaba.jp/
中村晃|カメラマン。建築やインテリア、ポートレート撮影を中心に活動している。2023年に続き、今回は1年ぶりに双葉町を訪れ、その変化を写真と手書きのテキストで記録した。

―双葉町を訪れる前の心境を聞かせてください。


震災当時、私は東京・六本木ヒルズの50階で撮影の仕事をしていました。突如として襲ってきた、ビルが折れてしまうのではと思うほどの強い揺れ。「ただごとではない」と思いテレビをつけると、東京中で倒壊や火災の被害が起きているという速報がありました。震える手で何とか仕事を片づけた後、4時間程ビルから出られなくて夜になって機材を引きずりながら当時住んでいた下北沢へと歩いて帰ったことを覚えています。

私は2023年にも仕事で双葉町を訪れ、クライアントの案内に沿って各所を巡り、写真を撮り集めました。一方で今回の訪問は、「自分の意思で気になるところを見に行ける」という状況からして前回の訪問とはまったく異なるものでした。2023年に訪れたのは、地震の爪痕が生々しく残る学校や役場など、言葉が出なくなってしまうような場所。しかし今回は、そうした「震災」の前提を既に受け取ったものとして、新たに自分の視点から双葉町を見られるという期待がありました。





―双葉町では、どんな場所を訪れましたか。


駅前通りに新築された都営住宅のそばを通り、工場・ショップ・カフェが融合した「フタバスーパーゼロミル エアーかおる双葉丸」のある県道254号線を歩いていきました。建物が津波に流され、広々とした更地になったその周囲には、ほかにも交流センターや工場などが立ち並んでいます。そんな光景を見ながら海岸沿いへ抜け、海と双葉町を眺めながら堤防の上を歩きました。今回私がやってみたかったのは、双葉町の復興と現状を、歩いて眺めること。工事は着実に進んでいましたが、復興祈念公園のすぐ隣に汚染土の入った土嚢が並べられている光景は、14年の歳月を超えてなお、生々しく当時の様子を伝えるものでした。そのあと、私は住宅街へと歩みを進めました。家々はとても綺麗で、人が住んでいてもおかしくないような外観でしたが、それらの多くは空き家です。そんな内情を考えるとすこし寂しくもありました。





―訪問を踏まえて、どのようにアウトプットをするのでしょうか。


今回は写真を撮影するだけでなく、現地で感じ取ったことを手書きのノートに記していきました。私はテキストと写真を並置させるのではなく、二つを一つに合わせることで、単なるブログ記事に留まらない、物質的な「作品」といえるものを作りたいと思っています。また内容としても、震災を伝えるだけにしたくはありません。双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館にはさまざまな写真がありますが、その多くは「祈り」「苦難」を伝えるものです。一方で、今回試みてみたいのは、私が双葉町を訪れるときにそうであったように、震災の記憶をあえてリセットして、外からのフラットな目線で双葉町を見てみること。2023年の双葉町の住人は約80人でしたが、およそ1年で180人まで増加しており、町営住宅の募集には応募が殺到し、年代を問わずさまざまな人たちが双葉町に移り住もうとしているといいます。そして、私が海に向かって歩いたあの更地も、徐々に新築アパートやホテル、企業のオフィスなどが立ち並ぶようになり、復興祈念公園の石畳もぐんぐんと伸びています。双葉町は新しい未来に向かって動き出しています。そんなところを見せられたらいいですね。






―滞在を経て、今後の活動にどのような変化がありそうですか。


今回の滞在は、自分の「カメラマンとしてのスタンス」を確認する機会にもなりました。普段の商業撮影では、写真に含めるべき要素やクライアントの意図に応じた「正解」を出すことが求められます。そのため、「自分の意思で自由に作品を作っていい」と依頼を受けたとき、私の頭には何もアイデアが浮かびませんでした。ほかのメッセンジャーの方の作品も参考にして考えついたのが、普段の仕事の目線でフラットに町を撮影すること。双葉町の作品として独自性を追求するというより、自分がいつも考えていることを活かしながら、「もっとこんな風に撮ってみよう」「こんな被写体もいいな」と転がしていく。そうすれば、双葉町の外にいる人の目にも、「新しい場所の光景」として映るはずです。双葉町で目にしたものと制作の過程が、自分の仕事のあり方を教えてくれたように思います。



中村晃さん Note 2025年1月の双葉町1/3 https://note.com/naka2300/n/ned7f5987b938⁩ 2025年1月の双葉町2/3 https://note.com/naka2300/n/n611f42c12479⁩

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