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司法書士 三浦美樹|知っておくことで、救える人がいる|メッセンジャーインレジデンスレポート#10

2025年6月17日

2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。

 

メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、司法書士であり、NPO団体の代表理事も務める三浦美樹さんにインタビューをしました。

 

「ヒラクフタバ」プロジェクトとは:「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。Webサイト:https://www.hiraku-futaba.jp/



三浦美樹|一般社団法人日本承継寄付協会代表理事(司法書士)。個人事務所での勤務を経て、2011年に司法書士事務所を独立開業。相続専門の司法書士として、これまで2000件以上の相続相談に応じてきた。2019年に「一般社団法人日本承継寄付協会」を設立。現在は代表理事として、死後に寄付を行う「遺贈寄付」の普及を目的に、執筆やセミナーを通じた啓発活動を精力的に行っている。

―三浦さんにとって、東日本大震災はどんな出来事でしたか。


東日本大震災が起きた当時、私は京都にいました。震災の状況を伝えるために、連日のようにテレビにはすさまじい光景が映し出されていましたが、京都の町は揺れることもなく、これまでと変わらない日常が続いていました。そして、私自身も子どもが生まれたばかりだったため、ボランティアなどの支援活動に参加することもできませんでした。現在私はNPO団体の代表を務めていますが、私の周囲には、東日本大震災をきっかけにソーシャルセクター領域での活動を始めた人たちもいます。こうしたさまざまな要因があり、私にはずっと「動けなかった人」という意識がありました。その一方で私の中に残されていたのが、「原発事故」「未曾有の災害」「故郷から去る」といったいくつもの言葉の重み。今回双葉町を訪れる機会を得たときには、そうした言葉の重みを体感して、自分の新たな行動につなげられるのではないかという期待がありました。




―双葉町を訪れてみて、何を伝えたいと思いましたか。


双葉町を訪れて思ったのは、「知っておくこと」の大切さです。たとえば、原発事故に対して違和感や憤りを感じるのなら、「電気を使わない」という極端な行動もできなくはありません。しかし、私たちは電気を必要とします。ならせめて、原発事故の実情をよく知った上で、電気を使ってほしいと思うのです。知って、考えて、その上で使うことを選ぶ。そんな意識の持ち方だけでも、救われる人がきっといるはずです。そして「知っておくこと」には、震災を忘れないように語り継ぐことも含まれます。今回の津波のように、これまでの歴史の中でさまざまな自然災害を経験してきた日本には、「ここに家を建てるべからず」と警告を発するいくつもの碑文が残されています。しかし、そうした教訓が忘れられているケースも少なくありません。そのように過去が現在に伝わらなくなってしまうと、再び同じ被害を生み出してしまう。だからこそ、あのとき双葉町で起きた出来事を語り継ぎ、未来を変えていかなければならない。双葉町の沖合から朝日が昇るのを見たときに、私はそう思いました。もし可能なら、ぜひ皆さんにも双葉町を訪れてもらいたいと思います。自らの足で双葉町を訪れ、街に流れる空気や、住人の方との会話の中で何気なく発される一言から、情報や言葉の奥にある「震災」を感じ取り、実感として双葉町を知っておいてほしいのです。





―今後の双葉町に、どんな役割を期待しますか。


双葉町はどんな町になれるのか。ひとけのない広い公園を何台もの大型トラックが走っていく光景を見ながら、私は考えを巡らせました。たとえば、「原発事故を体感できる町」として、街全体を震災記念館のような文化資源として活用することも考えられます。それは、今後の国内政治の行き過ぎに歯止めをかけるほどの役割を果たしせるものであり、「知っていること」によって悲惨な状況を未然に防ぐための、大きな力になりうると私は思います。その一方で、震災以前は縁がなかったにもかかわらず、被災後に「今の双葉町」を好きになって移住をしてきた方もいらっしゃると伺いました。だとすれば、このままの姿を保っていくことが、彼らにとって大切なことになってきます。では、建物や日常風景とともに、そこに根付いていた文化風習も失った「今の双葉町」には、いったい何が残されているのでしょうか?それは「ゼロベースの町」という双葉町だからこそ持ちうる新しい価値です。一般的なまちづくりは、地域の活発化を目的としたものがほとんどですが、双葉町のまちづくりは「0からつくらなければならない」という強い要求にもとづいています。だからこそ、「どのような農業や産業を発展させるか」「どのような交通・行政・医療体制を整えるのか」「東西のエリアをどうやって連携させるか」など、一般的なまちづくりとは異なるさまざまな可能性を持っているのです。震災復興の文脈にとらわれ過ぎることなく、ゼロから始める町として新たな発展を遂げていき、50年後に「双葉町は、ほかの町とは違うよね」と言われるような唯一無二の町の姿を——見てみたいと思います。

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