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アーティスト コムアイ|15年後の今、双葉を訪れて感じたこと|メッセンジャーインレジデンス#16

2026年4月9日

2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。


メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、アーティストのコムアイさんに双葉町へ訪れた際の感想をお伺いしました。



「ヒラクフタバ」プロジェクトとは:「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。Webサイト:https://www.hiraku-futaba.jp/


歌、踊り、執筆。 主な音楽作品に、オオルタイチと制作した『YAKUSHIMA TREASURE』や、食品まつりa.k.a foodmanと発表した『FANI MANI』。気候危機について歌った『なんか地球がおかしい』など。 社会問題に取り組むアーティビズム・コレクティブ『HYPE FREE WATER』をビジュアルアーティストの村田実莉と立ち上げ、貨幣について考える実験的アートイベント『おかしなおかね』を主催、Podcast番組『ぺらぺ〜らの泉』を毎週土曜日に配信中。NHK『雨の日』、Netflix『Followers』、映画『福田村事件』などに出演し、俳優としても活動。2021年まで音楽ユニット・水曜日のカンパネラのボーカルとして活動。 ペルーアマゾンでの出産体験を本にするべく執筆中。

早朝、東京を出発し双葉に向かいました。

まだ暗い中、車の少ない高速を走って東京から遠ざかる。

東京は飽和しています。少なくとも私はそう感じます。灰色で良い子で消費的な予定調和な街。本気で面白いことを求めている人たちはアンダーグラウンドへ逃げ込んで、そこだけはみんな大きな声で会話して踊って賑やかで実験的です。でも子育て中の私は昼間の地上で生活することが増えたので、良いまちづくりを切実に求めるようになってきています。

面白い街ってなんでしょう。私は、街は提案をしている気がします。印象やメッセージとも言い換えられるかも知れません。街をみんなで作った結果、その街が発する提案がある、という感じがします。街を訪れる者も街に住む者も、それを感じて、書き換えていくような存在だと思います。

 

東京の場合は、ここ十年を振り返ると、同じような商業ビルが乱立しています。街が巨大化し、子どもを連れた地下鉄の乗り換えで疲れてしまいます。自分自身も中高大学生の10年間は往復三時間かけて通学していました。こんな東京から発せられるメッセージはなんだろう、と考えてしまいます。経済発展の果てがこれか、と「行き止まり感」「新しい提案のできなさ」を感じながら、それでも妥協で東京に住み続けている自分がいます。

 

自分が便利さに負けているから、双葉にもお店が増えたり、アクセスが良くなったりすることの重要性は理解しているつもりです。でも一方で、非常に勝手ですが、双葉には、東京が提示できていない希望を感じられる場所として育ってほしいと期待しちゃいます。東京に送る電気を作っていた原発の事故の犠牲になった双葉町だからこそ、他の街のように早く復興ができなかったからこそ、大量消費や大手企業ばかりでどこの国道も同じような景色になってしまった、そんな既存の価値観に対してオルタナティブな、新たな価値観を提示する存在になってほしい。他の町にはない魅力が絶対に育っていくと希望を感じます。それはどんなことがありえるか、いろいろ考えてみます。

 

まず思い浮かぶキーワードは、スペース、余白です。

都心では、とにかくお金を使わずに「立ち止まれる」場所がなくなっています。友達の家も遠いし、ベンチがないからちょっと話そう、休もう、と思ったらカフェに入るしかない、カフェは二時間で追い出される、といった有様です。

それに比べて双葉の町は、立ち止まれる余白しかないことをとても魅力に感じました。そういえば、来訪者にとっては双葉に行くという行為自体が「立ち止まって考える」というイメージを持っているようにも思います。私もそういう気持ちでした。15年かあ、原発の廃炉どうなってるんだろう、町はどうなってるんだろう、という興味は、日本はこれでよかったのだろうか、自分には何ができたんだろうか、これから世界はどこへ向かっていけばいいんだろうか、などの大きな問いに直結しています。

今は、だだっぴろい「余白」を前に胸に刺さるものを感じましたが、それも今しか見られないと思うと、とても貴重な体験でした。その余白がどんどん変わっていくことを楽しみに、また訪れたい。

だから、祈念公園は、寝転がって風を感じるような過ごし方ができる場所がるといいなと思います。それはただだだっぴろいより、寝転がって考えるスペースとしてデザインされている方がいいかも。

居心地の良さがあり、訪れる人が多ければ、カフェやレストランなどの商いもできるし、移り住みたい人も増えるのではないでしょうか。私は子どもがいるので、子どもが遊んで楽しい公園の近くに住んでいます。雨の日に遊べる屋内の遊べる施設もとってもいいなと思います。


次に、古いものを遺す、というのも従来の(東京的な)開発が見落としている大事な考え方だと思います。

除染のために取り壊さなければならないものは悲しくも仕方ないのですが、震災の遺構はとてもとても貴重ですよね。年月が経つほど歴史資料としても価値も、(こういう言い方は嫌なのですが)観光資源としての価値も上がっていくので、なるべく必死で残した方が良いと思います。例えば(ホープツーリズムの先輩として)広島と長崎で比較すると、長崎は遺構をほとんど残さずに新しい街を作りましたが、広島には原爆ドームなどの時が止まったような遺構があります。世界から広島に訪れる人が圧倒的に多いのはその違いだと思います。私は双葉には、たくさんを奪われてしまったからこそ、今あるものだけでもどうにか遺してほしいと思います。小学校を残される決断は素晴らしいですし、津波の跡が残るようなものも、見るのが辛いお気持ちの方が多いとは思うので勝手なことを言っていると思われるかもしれませんが、数十年後に津波のことを知らない子供たちへ知ってもらうことも含めて、ぜひ遺していただきたいです。双葉には「忘れる町」ではなく「忘れず考え続ける町」として、訪れる人に、過去と未来を考える提案をし続けてほしいです。(今すでにその要素があります。)

今回訪れさせてもらったところでは、旧町役場に足を踏み入れた時の、震災当時の時空間にタイムスリップしたような感覚は、一つの演劇を見ているような、映画やドラマの中に入り込んだような体験でした。ここで役場の皆さんが必死に町民のことを考え奔走されたんだろうなという緊張感、震災前の和やかな業務の日々がありありと浮かび、目の前にないからこそ、失ったものへの想像力がとても掻き立てられました。基礎の状態が悪く建物を残すのは難しいと伺っていますが、クラウドファンディングや署名などを利用して、復興庁の予算と合わせてできないでしょうか。

 

そしてこれも今回初めて知ったことですが、双葉の豊かな自然について。双葉の元の姿を思い出すという意味でも、そして世界的な潮流としても、自然の力を借りることは、大切なキーワードだと思います。ツアーで最も心に残っている景色は実は植物の様子でした。(双葉町内ではないですが)原発に向かう時に線量の高い林を通ったときの林の感じと、フレコンバッグが撤去された後の、へたったり黒ずんだり元気に生えたりしているススキ野原です。どちらも植物が自らを癒そうとする健気さとたくましさを感じ、それが双葉の皆さんの姿とも重なって見えました。原発の問題は、人間中心的な考えにあると思っています。半減期が何万年もかかるものを人間が扱えるとは私はどうしても思えないのです。人間がいつまで地球上にいるかもわからないですし、天災の多い日本で「人類はどんなに危険なものも力でコントロールできるのだ!」というのはどうも納得いかないのです。

放射能に晒された土地で自らを癒そうとする自然の姿は、癒しと勇気の象徴になり、住む人も訪れる人も感動させてくれるのではないでしょうか。思い出したように住民の方が「双葉は花の町でした」とおっしゃっていたのが心に残っています。伝承館の周りの風景が、だんだんと多種多様な植物に溢れ、蜂や蝶や鳥もやってくるようになったら、希望を感じる風景になりそうでわくわくします。それも、人間のための庭や公園でありながらも、多様性のある自然が自らのびのびしているというような風景がいいと思います。放ったらかしではなく、ちょっとデザインしてそういうふうになったら素敵ですよね。一つ思い浮かぶ例としては、森なのでちょっと目指す風景としては違うかもしれませんが、植林して100年で原生林のようになった明治神宮の森です。元は練兵場で何もない土地でした。

 

(住民の方が、山を切り開いてサーキットを作るのもいいのではないか、とおっしゃってましたが私は双葉じゃなくても良いのではないかと思いました。一方で「ケンタッキーがあると周りの町からも人がやってくる」という視点は目から鱗で、アメリカのチェーン店のケンタッキーじゃないにしても、どんなお店があったら日曜日に遊びに行きたい町になるだろう?という問いは考えさせられました。県外だけではなくて、福島県内の人が遊びに来れるような目線も大切ですよね。)

最後になりますが、コミュニケーションが活発な町が一番大切なことかもしれないと思いましたがどうでしょう。町長が「人がいないと町は続かない」とおっしゃっていたのを、私は活気と受け取りました。朝市があったり、お祭りがあったり、そんなわいわい人が集まる日が定期的にあると理想的ですよね。ごちゃごちゃと自由に住んだりお店を開けたりする場所だと、会話が活発になると思います。整えすぎず、自由に。いわゆるソフト面が大事なコミュニケーション、これが一番難しいですよね。訪れた人が町から受け取る一番大きな印象の部分は、実は住民の方々とのコミュニケーションだと思います。

 

 

いろいろ語ってしまいましたが、これらは双葉町のメッセージとして町の隅々から感じてもらうことができたら、とても先進的でかっこいいと思います。双葉町としてのメッセージははっきりしている方が、もっと訪れる人は来ると思います。でもそれは明確に何かを敵にするようなメッセージである必要はなくて「過去と未来について、考えにきてみませんか」くらいでも、十分格好いいと思うのです。

 

本音を言えば、原発の危険性と既存エネルギー産業の不均衡による被害を一番知っているからこそ「双葉町は再生可能エネルギーを100%地産地消します」という方針をとってくれたならば、東京も世界の都市のどこも及ばないくらい、未来的なめちゃくちゃ格好いいメッセージになると思います!!!

 

もっと双葉のことを考えてくれる人が増える方法についても、いろいろ考えてみました。

 

スタディツアー人口を増やしていくことが、まずは一番良いのはないでしょうか。

前回は21年に自力で訪れたのですが伝承館と牧場のみ訪れることができて、それだけだと今後も双葉に関わりたいとまでは思えませんでした。でも今回の視察では、原発ツアーの大橋さんのとても真摯で辛抱強いご説明と、宇奈根さんが朗らかに率直に伝えてくださった中間貯蔵施設についてのメッセージから、首都圏で電気を使ってきた自分にすべて関係のあることだ!!と強く思えるようになりました。他にも今回出会った、たくさんの素敵な方々のおかげです。双葉の未来を見守りたいし関わりたいと思うようになりました。

なので原発ツアーのキャパシティを増やすことはとても有効だと思いますし、双葉の町の現状をもっとたくさんの人に見てほしいです。私もツアーを企画したいです。(大橋さんが、原発のツアーは動線の問題があるので今は定員を増やせないとおっしゃっていましたが、それが解決して受け入れキャパシティを拡大してくださったらありがたいです。)

 

伝承館にも原発の廃炉資料館にも、世界中から、これからもっと人が来ると思います。今はまだ、線量が高いと思っていて来る人が少ないのではないかと思いますが、人が人を呼ぶようになると思います。なので、勝手に訪れる人口は増えていくかもしれないのではないかしらと思いました。原発に賛成する人も反対する人もわからない人も双葉の現状を見るべきだと思います。あと、難しいのかもしれませんが、、、外国人の原発ツアーはお金をとっても良いのではないでしょうか?個人的な経験ですが、マチュピチュやアウシュビッツ、イグアスの滝などの観光地では、地元の人と他国の人の入場料は結構差がありました。

 

伝承館は、以前一階にあったジオラマの企画展がすごく良かったので、常設にしてくれたらいいなあと思います。これだけたくさんの生活と思い出を奪ってしまったのかと、当時見てぼろぼろ泣きました。

逆に言うと、常設展には何か物足りなさ、綺麗すぎる感を感じています。自分でもうまく言葉にできないでいるのですが。。ちょっとかしこまりすぎているのでしょうか?ぼんやりしているというか。

証言をもっと最初に聞けるといいのでしょうか。

 

町長がご飯の時に話してくださった証言や、官林さんが花の町だったって思い出したって話していたりしたこと、かなり心に響きました。

 

私は同じところで20年住んでいたのに愛着があんまりないんです。だから双葉の町に愛着がある皆さんの想いは、ある種羨ましくもありました。不謹慎な言い方かもしれませんが。

 

誠に勝手な感想と提案でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます!!!!

この度は自分にとっても貴重な体験をさせていただいて、本当にありがとうございました。


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