
空間プロデューサー 大田 俊吾|少し離れた距離が、町を育てる|メッセンジャーインレジデンス#17
2026年4月10日
2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。
メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、空間プロデューサーのモンタージュ 大田俊吾さんにインタビューをしました。
「ヒラクフタバ」プロジェクトとは:「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを 生むことを目指す発信活動。Webサイト:https://www.hiraku-futaba.jp/

1980年広島県生まれ。東京理科大学理工学部建築学科を卒業後、グラフィックデザイナーを経て2016年より株式会社モンタージュ入社。国内外の大型イベントにおいて展示映像、空間演出を中心としたプロデュースを行う。ドバイ国際博覧会日本館、大阪・関西万博住友館ではコンテンツプロデューサーとして参加し、体験設計、コンテンツ制作のプロデュースを担当。
ー大田さんの普段のお仕事についてお教えください
株式会社モンタージュで空間プロデューサーをし ています。元々は映像プロデューサーとして映像のプロデュースとコンテンツ制作をしていましたが、映像コンテンツだけではなく、それを取り巻く環境まで少しづつプロデュースの幅を広げ、近年ではドバイ万博の日本館や大阪・関西万博の住友館の全体演出およびコンテンツ制作など博覧会関係の案件を中心に、映像、照明、音響を含めた空間演出、体験設計の構築を手掛けています。前職はグラフィックデザイナーで、その前は大学で建築を学んでいたこともあり、コンテンツ目線、建築目線の両方から魅力的な空間と体験を創り出していけたらと思っています。
ー東日本大震災という出来事は大田さんにとってどんな出来事でしたか?
震災が起きた後はどんな時間を過ごされたのでしょうか。
震災 がおきた2011年当時、私はグラフィックデザイナーとして南青山の職場で雑誌広告のデザイン作業中でした。今まで体験したことのないような大きな揺れを感じ、慌てて机の下のPower mac G4が倒れないように抑えながら地震が収まるのを待ちました。結局その日は南青山から目黒の自宅まで2時間かけて歩いて帰ったのですが、徒歩で帰宅するたくさんの人の流れに加わりながら、「東京に何かあったら地元の広島に帰れば良いかな」と他人事のように考えていました。その時ふと、自分の心の拠り所になる地元が被災して帰るところがなくなってしまう恐怖が頭をよぎり、何とも言えない大きな絶望感に襲われたのを鮮明に覚えています。そこからしばらくは震災と直接関わることはありませんでしたが、今でも心の中には漠然とした恐怖が残っています。
ー双葉町を訪れる前は、どのような心境でしたか
2023年に双葉町の少し南にある楢葉町役場に併設される博物館の展示映像の仕事をさせて いただきました。楢葉町も福島第二原発があるので、一時的に全域避難エリアになったのですが、第一原発と違ってメルトダウンは起きなかったため、2015年に避難解除になりました。全域避難となった自治体の中では比較的早い全面解除になった町だったと記憶しています。その仕事で楢葉町に暮らしている方々のインタビューを撮影したのですが、その時に感じたのは、みなさん、震災の爪痕は在る物として受け入れた上で、今の生活やこれからの町の在り方に目を向けて、希望を持って生活しているということでした。今回メッセンジャーインレジデンスのお話をいただいてからも、双葉町の今や、これからがどうなるか、そういった観点で町を見て回ろうと思っていました。
ー現地では、どのような場所を訪れたのでしょうか
また訪れた場所の中でどこが印象に残っていますか?
これから双葉町がどうなるか、何か新しいものが生まれつつある場所を探すつもりで行きました。建築工事の現場や、飲食店などの人が集まる場所に、何かアウトプットのヒントがあるだろうと思い、双葉町の役場や案内所になっている旧駅舎、駅前のカフェ、建設中の福島県復興祈念公園などを見て歩きました。特に印象に残っているのは、ロケハンの時にたまたま開催されていた新春恒例の双葉町ダルマ市です。たくさんの出店が立ち並び、近隣の町からたくさんの人が双葉駅前に集まって楽しんでいる様子を見て、未だ居住人口が200人にも満たないこの町に、人の営みと活気が戻りつつあるのを感じました。そこで買った双葉ダルマは会社の玄関に飾ってあります。
ーメッセンジャーとしてどんな発信をしたいですか?
私からのアウトプットの手法としては、やはり映像かなと思っています。震災の遺構や被害の状況を伝える施設はすでにたくさんありますし、もちろん「復興」とか「再生」っていう考えも大切ですが、今回は、今を新たなスタート地点として、これからの双葉町に目を向けるコンセプトのティザー映像にしたいです。たとえば、「復興」とか「再生」っていう目で見ると、町のあちらこちらで行われている工事も、マイナスをゼロに戻す作業のように見えてきてしまう。これを、何か新しいアクティビティが生まれる予兆に見えるような描き方をすることで、双葉町の未来への期待感を感じてもらえる映像になるような気がしています。
そして、この映像を通して、たくさんの人に双葉町に興味を持ってもらい、一緒に双葉町の未来を想像してくれる仲間が増えると良いなと思っています。
ー今回の訪問を通じて、大田さんの活動にどんな展開が 生まれるでしょうか
今回、双葉町を訪れて改めて感じたのは、実際にその場に行き、自分の目で見てみないと、本当の意味で心を動かす体験にはならないということです。たくさんの情報が溢れている現代社会で、大体のことはインターネットやAIを使えば簡単に知識として得られます。ですが、温度、匂い、音、風、光など、現場でしか得られない、言語化できない情報こそが体験として価値があるものだと再認識できました。
私は今、いろいろな場所で体験を作る仕事をしていますが、その場所でしか感じられない雰囲気や匂い、手触りなど、画面越しでは伝わらないリアルな触覚を大切にしながら、心に残る体験設計をしていきたいと思います。
ー双葉町に求める50年後の町の姿は?
全くわからないです。私が初めて双葉町を訪れて感じたのは「何も無い」ということでした。そして、「何も無い」ことにワクワクしました。更地になった広い土地には、これから何ができるか、どんな町になっていくかわからない、未知の未来が広がっているように感じたのです。双葉町は、まさにこれから育っていく「町の赤ちゃん」みたいなものです。「赤ちゃん」の50年後を想像するのが難しいのと同じで、可能性は無限だし、これからどう育つかはわからないところが他の町には無い、双葉町の大きな魅力だと思います。
ーどのような方にこの町にきて欲しいですか?
双葉町を「町の赤ちゃん」だとするなら、「親」は双葉町役場で働く人や実際に双葉町に暮らす人たちです。そして、今回メッセンジャーインレジデンスで関わった人たちは、少し離れたところにいる「親戚のおじさん・おばさん」みたいなものかなと思っています。「親戚のおじさん・おばさん」って、たまにしか会わないから新しい価値観や視点を与えてくれるし、ずっと一緒にいるわけじゃないのである種無責任に口出ししてくる存在です。そんな、双葉町にとっての「親戚のおじさん・おばさん」がたくさん来てくれれば、双葉町の可能性もより大きく拡がり、魅力的な育ち方ができるんじゃないかなと思っています。
<ティザー映像>