
詩人 道山れいん|双葉町と東京は地続きにつながっている|メッセンジャーインレジデンスレポート#3
2024年8月15日
2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。
メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、メッセンジャーの一人で詩人の道山れいんさんにインタビューをしました。
「ヒラクフタバ」プロジェクトとは:「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。Webサイト:https://www.hiraku-futaba.jp/

道山れいん|詩人。東京大学文学部国文学科卒。2019年フィンランド詩祭優秀賞。2022年 Kotoba Slam Japan2022(詩の朗読)全国大会優勝。2023年 日本代表としてパリの朗読世界大会「ポエトリースラムW杯」(20カ国)出場。フランス全国俳句スラム2023準優勝。2023年 日本代表としてリオ・デ・ジャネイロの朗読世界大会「World Poetry Slam Championship 2023 in Rio de Janeiro」(40カ国)出場。 準決勝進出(日本人初)。2024年 台北市での国際ポエトリースラム準優勝。詩集「水あそび」「水の記憶」「しあわせでいいじゃない」
ー今回、双葉町を訪れたきっかけをお聞かせください
僕は詩人として、これまでに日本各地の朗読会に足を運んできましたが、今回訪問するまで双葉町のことはほとんど知りませんでした。そんな部外者である僕が、双葉町を訪れて作品を つくることが歓迎されるのか。最初に依頼を聞いたとき、そのことが気がかりでした。もし、双葉町の方々が万一望まないことなら、行くべきではないと思ったんです。ですが、そうやって悩んでいたときに、らいおん建築事務所の方が言ってくれた、「誰かが伝えないと、ただ時間だけが流れていくんです」という言葉に心を動かされました。それまでの生活が一変するような大変なことが起きたのに、時間と共に忘れられていく現状がある。それだけは食い止めなければならないという直感が働きました。好ましいことなのかも、何ができるのかも分からない。それでも行ってみようと思いました。
行くと決めてから自分の記憶を辿ってみると、双葉町と僕の地元である福岡県大牟田市に共通点があることも見えてきました。まず思い出したのは、僕の知り合いが制作した、双葉町が舞台の「盆唄」というタイトルの映画のこと。それは、双葉町に伝わる盆踊りを物語の軸としながら、町のコミュニティについて描いた素晴らしい作品です。僕のふるさとである大牟田市も、かつて炭坑の町として栄えた時期があり、僕自身も炭坑節を踊って育ってきました。そういった文化的な共通点に加えて、もう一つ同じだと思ったのが、どちらも「人口が減ったふるさと」であるところです。双葉町から人が離れていったのと事情は違いますが、大牟田市も炭坑が閉じてからは人口が急速に減っていき、今では全盛期の半分以下まで減少してしまいました。そうやって2つの場所をつないでみて、双葉町と大牟田市が地続きだと思えたことも、双葉町へ行くことの後押しになりました。
ー実際に双葉町を訪れてみて、何を感じられましたか
今回は、僕が一緒に創作活動をしている映像クルーも引き連れて、双葉町へと向かいました。東京から車で行ったのですが、最初に町に入ったときの衝撃は忘れられません。海岸地区には、本当に何もなかったんです。あたりには、津波で流されてしまった跡地があるだけで、どこが工事中の区画で、どこまで立ち入りできるのかも区別できないくらいでした。「どうしたらいいか分からない」という言葉が、何度も頭の中で響いていたのを覚えています。呆然としながら海岸沿いの堤防に登り、内陸を一望すると空が見えました。風がごうごうと吹き、太陽のまわりの薄い氷のような雲に虹がかかっている。神々しいとさえいえる綺麗な光景に、ただただ圧倒されました。そうして双葉を訪れて最初に感じた衝撃と自然の姿を封じ込めたのが「空」という詩です。

その後、復興作業のために双葉町で働いている方と話をしたり、トラックの運転手の方に海がよく見える場所を教えてもらったりと、温かい交流をしたことを覚えています。翌朝に、また堤防まで行って「空」の詩を朗読していると、高校生くらいの青年と出会いました。彼は茨城県から自転車で双葉町を見に来たそうで、僕の朗読にじっと耳を澄ませてくれました。そんな人たちとの出会いを「そそぐ」という詩で表現したのです。
ー滞在中にアウトプットを進められていたのですか
滞在中に詩を書くだけでなく、ここだと感じる場所で朗読し、映像撮影も並行して行いました。その場で感じたことを捉えて形にして、誰かに聞いてもらう。そうすることで、次から次へとつながっていくと思ったんです。滞在二日目には初發(しょはつ)神社を訪れました。双葉町の多くの地域で建物の解体が進んでいますが、その中で昔から残っているのが初發神社です。宮司さんとお話をさせていただき、震災のことだけでなく、双葉町に伝わる盆踊りでも話が弾みました。宮司 さんは、かなり早くから双葉町に戻ったそうなのですが、その理由をたずねると「町の人が帰ってきたときに、誰かが待っていないとね。だけど、誰も来ない日もあって、そんな日は一日中、手水場の音だけを聞いているんですよ」と答えてくれました。そんな宮司さんの話から生まれたのが「そして今日も」という詩です。

最終日の三日目には、浪江町にある請戸小学校を訪れました。そこには請戸地区が被災する前の模型が展示されているのですが、ミニチュアの町の色んな場所に小さな旗が立っていて、「ここで花火を見た」といった言葉が書かれていたんです。津波で流されてしまっても、かつてそこには人の生活があったと思わずにはいられませんでした。滞在初日に、僕は自然に圧倒されましたが、そうした自然の原初的なエネルギーを感じつつ、そこに抱かれてきた震災前の人々の生活を想像して、広く世間に伝えることが大切な仕事なんじゃないかと考えさせられた出来事でした。
ー滞在を終えてからのアウトプットはどのようなものになるのでしょうか
今回の訪問を経て思ったのは、「双葉町のことだから関係ない、と思ってはいけない」ということです。最終日の夜に車で東京へと戻ると、改めて東京の人の多さに驚きました。そして「この人たちは、福島のことを忘れているんじゃないか」と思いました。もちろん、そこには僕も含まれます。しかし、震災当時にテレビから聞こえてきた「福島第一原発が…」「ヘリコプターで放水を…」といった報道を思い返してみると、自分たちの生活と福島の震災が別世界だと思ってしまうのも無理のないことだという気もします。それはあくまでテレビを介して知った福島ですから。しかし、僕たちが車で双葉町を訪れて、そして東京へ帰ってきたように、双葉町と東京は地続きにつながっています。この感覚を実際に体験すれば、双葉町の問題は東京の人にとっても、そして日本中の人にとっても「ふるさとの問題」として考えられるはずです。「ふるさとを守る/手放すというのはどういうことか」という問いとして共通の問題にできると思います。
今後は、双葉町の詩集を作ったり、映像として滞在時のことを作品化したり、盆踊りで交流したりと、詩作だけにとらわれずに様々な方法で双葉町と関わっていこうと思います。しかし、何より忘れないでいようと思うのは、双葉町のことを想い、言い続けることです。どのような形で表現しても、僕は言葉をつくる詩人です。ですから、「時間だけが流れて」しまわないよう、いつまでも言葉にし続けようと思います。
