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起業家 田村賢哉|「考えられる市民の形成」が教育のあるべき姿|双葉町メッセンジャーインレジデンスレポート#4

2024年8月22日

2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。


メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、起業家の田村賢哉さんにインタビューをしました。


「ヒラクフタバ」プロジェクトとは:「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。Webサイト:https://www.hiraku-futaba.jp/



田村賢哉|株式会社Eukarya 代表取締役CEO|広島県生まれ。東京大学渡邉英徳研究室の「ヒロシマ・アーカイブ」のプロジェクトに参加。2017年データベース開発、可視化ツール開発をする株式会社Eukaryaを、東京大学渡邉英徳研究室のメンバーによって創業する。2019年、国内クラウドファンディング史上最高額の2.76億円、異例の大型調達に成功し、次世代データベースの研究開発しつつ、その成果を活かた大規模かつ複雑な都市データを扱うことができるWebGISプラットフォーム「Re:Earth」を開発している。2021年からサービス提供をはじめた「Re:Earth」は、国土交通省の「Project PLATEAU」に採用され、約200都市のデータを管理・運用し、自治体での普及や市民・民間企業での利用促進を目指している。

ーーどういった経緯で、今回の「メッセンジャー・イン・レジデンス」に参加されたのかを教えてください


僕は今回、教育者の津田和夫さんと一緒に訪問したのですが、彼が運営する社団法人での活動が参加のきっかけでした。津田さんは、ニューヨークにある国連国際学校で50年近く日本語の教師を務められています。その学校には「探求と表現」という学習活動が設けられており、生徒たちが興味のあることから出発して、様々な人や社会課題とつながりを持たせることを目指しています。授業で扱われる社会課題には、世界の難民問題や戦争をはじめ、日本の広島や長崎の被爆者問題も含まれていて、それらと接点を持たせることで、生徒の考え方に刺激を与えているんです。こういった背景があり、「探求と表現」に基づく教育活動を日本でも進められないかというので、津田さんが設立したのが「MIEF(国際教育フィールドムーブメント)」という団体です。そして団体の活動の一環として、日本各地をつなげることを目的とした「トラベルキャンプ」を実施しています。このプログラムでは、広島や長崎、一向一揆の歴史を持つ石川県加賀市、アイヌ問題を抱える北海道白老町などを訪れているのですが、「福島の双葉町も行けたらいいね」と津田さんと話していたところだったので、今回機会を得てという感じです。


さらに言うと、津田さんと行くことになったのは、彼と話しているときに出た「被害者としての歴史しか語れない問題」という言葉にハッとさせられたということもあります。被災者の声はもちろん大切ですが、「震災の前には何があったのか、そこからなぜ今のようになったのか」と大局的に歴史を見ないと、福島第一原発事故が起きる前に、原発についてどんな教育が可能だったのかという観点を見逃してしまうことになります。それを踏まえて津田さんは「被災が起きる前も含めて歴史を捉えることが重要だよね」とおっしゃっていたので、じゃあ一緒に行きましょうという運びになったんです。



ーー双葉町を訪問して、どんな場所を訪れたのでしょうか


東京を車で出発して、まずは双葉町の南にある大野駅のあたりに宿泊し、翌朝そこから北上していきました。第一原発は立ち入り禁止だったので、まずは伝承館を訪ね、それから団地などを車で巡り、その後に海岸沿いに浪江町まで進んでいきました。中でも印象的だったのは、伝承館での語り部の方のお話です。その方は50歳近くの女性だったのですが、「被災するまで、私は原子力について無知でした。安全神話に踊らされて、調べようとしなかったんです。だから、震災の後に大学院に入学して、文化人類学の観点から安全神話を学び始めました」という話をしてくれました。こんなふうに年齢を重ねてから学び直すのは素晴らしいことだと思いました。一方で、災害が起きてから探求をはじめるのでは、それは公教育の敗北なんじゃないかとも思いました。被害が起きる前に異変に気付くために、教育はどうあるべきだったのか。そのことを、滞在中に津田先生と何度も話し合いました。





ーそういった体験を経て、田村さんのアウトプットはどのようなものになるのでしょう


語り部の証言を、デジタルアーカイブとして可視化できないかと考えています。確かに、伝承館のような場所はありますが、語り部たちの声がそこから外へ出ていないように思います。言い換えれば、聞き手である第三者が震災のことを持ち帰って伝えることが難しいんです。だからこそ、それをWEB上にアーカイブして、誰でもアクセスできるような環境を整備できればと思います。この構想は、僕と津田さんのこれまでの活動にもつながっています。


僕たちが考える教育のあるべき姿とは、「考えられる市民の形成」です。津田先生が教鞭を執るニューヨークの国連国際学校では、「第二次世界大戦への反省」が教育の大元にあります。つまり、「大衆が政府に対して声を挙げられなかった」という歴史への反省から、新しい教育方針が決まっていったんです。今回の原発の安全神話についても、これと同じような構図があるように思います。そう捉えると、双葉町の語り部たちの証言は「考えられる市民」を形成する教材になりえるはずです。双葉町の外にいる人、これから来るかもしれない人たちが、その教材に触れて探求し表現していく可能性をどうやってつくるか。それを考えているところです。





ーーデジタルアーカイブを見た人は、どんなことを考えられるでしょうか


たとえば、「原発の象徴化」について考えられるかもしれません。福島第一原発が、双葉町周辺地域の象徴であることは間違いないでしょう。しかし、現地を訪れて気付いたのは、まるで隠されているかのように、原発が見えなくなっているということです。それが意図的なのか、それとも山に囲まれているためなのかは分かりませんが、「原発が見えない」という事実は私にとって衝撃的でした。放射能が見えない上に、その根源である原発さえも見えない。それでは何と戦って復興を続けているのか、分からなくなってしまうんじゃないかと思ったんです。他のケースを考えてみると、広島の原爆ドームは「被爆地・復興・平和の象徴」としてきちんと機能しています。もちろん、必ずしも象徴化しないといけないわけではありません。しかし、「象徴が見えていない」という関係性を理解した上で復興を捉えないと、何のために復興しているかがよく見えず、皆さんが一丸となりづらいのではないか。「見えないことをどう捉えるのか」ということは、復興の中でも重要なポイントになると思います。



ーー今回の訪問を通じて、田村さんたちの活動にどんな展開が生まれるでしょうか


津田さんの団体で行っている「トラベルキャンプ」に、双葉町を訪れる行程を組み込んでいるところです。世界中からやってきた子供たちが、どんな視点で双葉町を捉えるのか。そこに新たな発見が生まれることを期待しています。双葉町にいる方だけで考えると、どうしても議論が閉じてしまいます。外からやってくるからこそ、新しい発見につながるはずです。たとえば、「今のエネルギー問題は、福島第一原発事故によって引き起こされている」と捉えて批判することもできます。石油価格の高騰は、ロシア・ウクライナの戦争問題が原因とされていますが、3.11以降、原子力発電がネガティブなものになり、化石燃料に頼らざるを得ない状況も実際にあります。そんなふうに、グローバルな問題とローカルな問題をつなげることもできるんです。しかも双葉町の外から来る人は、おそらく福島のことを知りません。彼らにとっても、双葉町を知ることで自分のフィールドでの新しい展開が生まれるきっかけになるんじゃないでしょうか。



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