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メッセンジャー・イン・レジデンス シンポジウム Ⅰ vol.2

2025年1月10日

メッセンジャー・イン・レジデンス シンポジウム Ⅰ vol.2


2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。


メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。


今回は、「メッセンジャー・イン・レジデンス」の取り組みのまとめとして、メッセンジャー・イン・レジデンスに参加いただいた方々にお集まりいただき、アウトプットや作品に込めたメッセージ、現地で感じられたことなどについて深掘りしてお話を伺うシンポジウムを開催しました。

「ヒラクフタバ」プロジェクトとは、「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。https://www.hiraku-futaba.jp/

〈メッセンジャー〉

塩井 一孝   /アーティスト

道山 れいん  /詩人

寺本 健一   / 建築家/Office of Teramoto 主宰

指出 一正  /編集者/『ソトコト』の編集長


〈ヒラクフタバ〉

佐々木 晶二 /元国土交通省国土交通政策研究所長

林 厚見   /株式会社スピーク

村山 海優

嶋田 洋平(モデレーター)/株式会社らいおん建築事務所



ーーメッセンジャーとして実際に双葉町に滞在された時に過ごした時間の内容を教えてください



塩井 僕は双葉町に 2 泊 3 日しました。今回の双葉町滞在では海の写真を撮って、それを作品にすることを目的としていました。この時の滞在の記録は僕の Twitter や note に記事を掲載しています。


双葉町メッセンジャーインレジデンス #01 -滞在制作- https://note.com/kazutaka_shioi/n/nf913ec09e7a0


双葉町メッセンジャーインレジデンス #02 -作品完成-

https://note.com/kazutaka_shioi/n/n8562a55bc2e9


双葉町には2月 23 日の午後 5 時半頃に到着しました。そこからすぐに夕暮れの海の写真を撮りに行きました。 駅から車で行って、10 分 15 分ぐらいで到着したのですが、海はブルーで暗い、鉛色の青みがかったすごく静かでした。凛 とした感じで、僕は宗像の海にもよく撮影に行くのですが、九州の砂浜は黄色い感じなのですが、こちらの海は黒っぽく てざらっとしていて非常にかっこいい印象を受けました。 夜にロケハンをしたかたちで、その時に海を撮影するなら日の出や昼間、夜、一日中海の表情を撮影してその中から写真 を選ぼうと思い至ったので、その翌日は日の出に合わせて朝 5 時半ぐらいから海に行って写真を撮りました。陽がある時 に海に行って見ると、夕方では確認できなかった建物をいくつか見つけました。撮影をしていて、さまざまな場所に「この先、帰還困難区域につき通り抜け禁止」という表示が貼ってあるのを見かけたですが、強烈な衝撃を受けました。実際 にこの言葉を目にすると考えさせられるものがあり、ただただ驚きました。日の出を撮影し、まちの中に行ってみると廃 墟となってしまったかに見える建物が点々と残っていて、復興すらできず 10 年そのまままちが放置されているというのは、 13 年前にタイムスリップして自分が当時九州の福岡にいて、自分ごととして考えることができていなかったことに、改めて反省させられる機会になりました。

その時は双葉町の神社も巡りたいと思っていました。神社は日本人にとって信仰の礎であり、心の拠りどころになっている場所だと思うので、そこがどうなっているかもリサーチしたい気持ちがあり、撮影してきました。山の上にある神社に は 40 名の町民が当時避難して一夜を過ごしたといった記録が現場に残されていたりして、その神社が建つ山からは海が見 えたので、当時の人たちはたぶん津波が押し寄せて真っ黒であっただろう海をどんな気持ちで見たんだろうと想像しなが ら過ごしました。中には津波がきたであろう場所にも御神木がしっかりと立っていて、その風景には安堵感を覚えました。 他の神社の境内には計測器があったり、僕が普段過ごしている福岡では見られない光景を多々見ました。 そのあとは伝承館に行って資料を見たのですが、そこにある写真にはリアリティがあって、涙なしには見れない展示で、ずっ とタイムスリップしながら当時の人たちに思いを馳せながら過ごしました。そのあとはまち歩きをして、商店街の建物を 見たりしたのですが、消防署は 13 年前の震災が起こって出動したままの状態で、たぶん地震でシャッターが歪んでしまい 開かなかったのか、突き破った状態のままになっていました。まちの中のに神社もありましたが、すでに手を入れて修復 してあったりして、信仰心の大切さを感じたりもしました。まちの中に「原子力未来の明るいエネルギー」という標語が あり、それは僕もテレビなどで見ていたのですが、なんとも言えない気持ちになりました。 双葉町はどこに行っても海が見える感じがあり、海がとても身近なまちだと思いました。 隣町の小学校の様子も見に行ったのですが、次の日卒業式だったのだなとわかる風景には胸が詰まりました。 夕方また再び海に戻ってきて、夕暮れの写真を撮影し、最後の方には満月が上がってきてその風景を撮影し、1 日が終わり ました。




嶋田 ありがとうございます。写真きれいですね。



塩井  ありがとうございます。



嶋田 道山さん、今回の滞在はどのようなものだったかを教えてください。



道山 はい。私は詩人なので、まずは詩の言葉を読ませていただき、そのあと解説させていただけたらと思います。 いちばん最初に行った時の印象を詩にしたものです。




遠い遠い空に僕らのきた場所と向かう場所がある

一度きて、いつか忘れてしまったその場所

空が遠すぎて、でもあまりに饒舌で言葉を失ってしまう

どうしたらいいのだろう、どうしたら良いかわからない


振り返れば山側に雲は凍って、薄いレンズをつくり、虹をつくっている

その下に多くの人がいたら驚嘆の声が漏れそうな空

でも今はそこに暮らす人はいない

枯れ草と荒地に工事車両の音が響き渡る


かつてここに住んだ人は、日々こんなに近しい表情豊かな雲と、海側山側それぞれに対話して過ごしたのだろうか 東京からきてたまたまの空に、これほど夢の中のような、別世界と思えるようなそれほど人格とも言えるような土地の豊 かな顔 その人たちはその奇跡を意識することなく、土地への純粋な愛情として言葉にもせずに心の中に代々育んできたに違いな いどうしたらよいのだろう、どうしたらよいかわからない 言葉にする。とりあえず言葉にした僕の言葉。言葉を越える空があった

ありがとうございます。「空」という詩になります。最初に行った時の印象がまさにこういう気持ちになりました。なんと 美しいという気持ちを言葉では言い表せないので詩を書いたのですが、饒舌で表情豊かでこれが当たり前にここにあるま ちなんだ、それを伝えるために僕はここに遣わされたんだと思ったくらいでした。 今回のプロジェクトのお話をいただいた時、受けてよいのか悩みました。アートで何ができるのか、震災直後の気持ちと 同様のものを感じまして、私が行ってよいものか悩みましたが、らいおん建築事務所の森下さんから「今やらないと何もやらないまま何年も経ってしまうんです」という言葉を聞いて、なるほど、自分が何かやるという結論を出すのではなくて、行ってみてやっていけばよいのだと思いました。言葉だけで伝えることを考えたのですが、今回はそれだけだと十分ではないなと思うところもあり、私は映像詩をやっていてフィンランドで賞をいただいたこともあったので、その制作チームにボランティアでついてきてもらって詩をその場で書きながら映像も撮影しました。


まだちゃんと素材を選べてはいないのですが。山側を見ると虹のような光が出ていて、海側を見ても本当に綺麗で風の音 がしていて、よかったです。どうしたらよいかわからない状態でしたが実際にその場でアドリブでつくり ました。撮影している時、目の前の敷地にどこから入ってよいのか、どこまでしか入ってはいけないのかそれすらもわからなくて、着いたばかりの時に撮影したのですが、とにかく混乱しました。


1 日目の夜は眠れなくて、寝つきがよい方なのですが、夜中に何度も何度も目が覚めてしまいました。本当に言葉にできない、整理できないという思いが頭をぐるぐると駆け巡っていました。 でもなんとか次の朝言葉にしたら、訪れたショハツ神社に宮司さんがいらっしゃったんです。なので、1 日目にまとめた詩 を読んでもよいかと声をかけて、宮司さんの前で読ませていただきました。この宮司さんは、帰ってきた人のために私はここで待っているんだとおっしゃっていました。周りは何もないのですが、 この神社はおそらく昔からこのままなのだろうなと感じられる場所で、そこで待っていらっしゃる。一日中人が来ない時 もあって、「そういう時は手水、手を洗う場所の水の音だけが聞こえているんですよ」というお話を伺い、あーそうなんだ と思いました。 誰も来ないの場所だけれど、待っている人がいる。その拠点が神社であるということがすごく心に残った体験になりました。 今回の滞在は、双葉で滞在先を確保することができず、浪江の方に泊まりました。浪江に行くと、ある地点から人が生活 する場所が広がっています。何もない場所がある一方で、人の生活が復活している場を見て心が熱くなりました。今回も東京から地続きの時間を感じたくて双葉町には車で行ったのですが、東京に戻ってくるとものすごく人がいる。でも人が いる東京と同じ時間の中に双葉町のように誰もいない時間があることを感じることができる自分がいることを感じました。 これはまさに見に行ってきたからこそだったと思います。 この経験を通して、とにかくより多くの人にそこに行っていただき、一人一人が感じることを表現することの大切さを思うに至りました。そのことで何かが始まるなと思いました。



嶋田 ありがとうございます。道山さんの詩をたくさんの人に届けたいので、そういった機会を考えたいと思います。で は次、寺本さん、実際の滞在がどのようなものだったかを聞かせてください。



寺本 いちばん初めに林さんと嶋田さんからこの話をいただいた時に、建築家だからというのもありますが 50 年後の風景 を考えるために滞在しようと決めて行きました。 そのためには、例えば建築の設計をする時にも同じ方法があるのですが、長持する建築を建てよう、50 年持つ建物を構想 しようとするには、まずは 50 年前から立っている建物の状況を見ると、雨のかかり方や経年変化、材料の変化の学びが得 られます。なので、50 年前からある風景を見たいと思いました。 それは美しい阿武隈山系の山や、雄大な太平洋の風景、同時にそういう自然風景だけではなくて、例えば神社や橋や川、 これも人工的な風景だと思いますが、農業、田園や畑の風景、これも 50 年前にあっただろうなという風景としてたくさんプロットできます。


そういうことに関心があったので、Google マップで全ての神社をプロットして、僕は日本の里山里海という概念に興味が あるので、それらを捉えるために水源、ため池と思われる場所から海に向かって双葉町の断面を見ようと思ってプロット していきました。つまり山の高いところから水がどう流れていって海に到達するのかを知りたいと思いました。なので水 源をすべてプロットしました。でも山間部はまだ立ち入り禁止区域が多くて確認できませんでした。 今回僕もスタッフとメンバーであえて自家用車で双葉町まで行き、そこで全部の神社を見ようと思って、すべて行きました。 二人で写真を撮りまくって、全部の神社を高速で回っていく。その神社から見える風景、神社があるロケーションという のは、おそらく 50 年以上のタイムスパンでスタディがなされた結果であると考えて、それを確認しに行きました。そうし たことがやりたくて、今膨大に撮ってきた写真を事務所で眺めながら、編集したり考えたり思いを巡らせて、あと 2 週間 ぐらいはかかると思いますが、何かしらのアウトプットに繋げたいと思っています。 結果的に眺めてみて滞在後に考えたのは、もしかしたらすごく有名で個性的な地方の風景ではなくて、何か日常的な通学 路や神社を見ていると、そこに人々の思いや祈りが明らかに感じられるし、神社や祠は同じに見えても、全部を並べて大 きく俯瞰的に見てみるとそれぞれに違う。非常に多様に見えます。


そういった小さな差が、50 年後の豊かさとして持続的にあるんだということを信じて、そういった風景の見方を、あるい は僕がそう思っているという価値観をアプトプットとして出せないかといまストラグルしています。未来の青写真を描き たいのですが、建築家なので実は欲望として新しい絵を描きたいし、大きい絵を描きたいし、立派な公園や大きな床面積 の高層建築をつくりたい気持ちがある一方で、滞在した結果としての膨大な写真を眺めていると、おそらく僕が描く青写 真は建築に囚われず、何か価値観的なもの、何か小さな風景に対する眼差しのようなものをお伝えした方がよいかなと思っ てストラグルしています。すみません、多分締め切りに間に合ってないですよね。でも滞在中に考えたことと、今考えて いることは一緒ですということをお伝えできたらと思います。



嶋田 ありがとうございます。みなさんそれぞれの活動領域でのものを見る眼差しをお話しくださり、すごく立体的に双 葉町の今が捉えられている。自分が行ったらどう感じるのかなと思わせてもらえるお話を伺えたと思います。ので、これやっ て良かったなと思っています。この後これをどうやって伝えていくかがすごく大事なことだと思うので考えます。 指出さんはおそらくこれまで何度も双葉町には行かれたことがあると思いますし、これからメッセンジャーとして再来週(3 月 26-28 日)に行っていただきますが、どんな感じで滞在されようと思っているのか、あと、この質問は事前にお伝えし ていませんでしたが、塩井さん、増山さん、寺本さんのお話を聞いていただき、これらをどう発信したらよいのか、メディ アに携わる指出さんのご意見を伺いたいです。



指出 僕はメッセンジャー・イン・レジデンスの滞在としては 3 月 26-28 日に双葉町に行きたいと思っています。僕はこ の地域に関しては「普段」という要素をもっと増やしたいと思っているんじゃないかなと思っているんです。特別なこと とか、エキストラオーディナリーが増えすぎてしまっているのが双葉町やこのエリアの現在だと思いますし、特に双葉町の場合はもっと普段を注入しないといけないんじゃないかなと思っています。なので僕自身は本当に普段のまま過ごそう と。仕事でオンラインの打ち合わせの予定も滞在期間に入ってきているので、それもやろうと思っていますし、双葉町に 居るのだけど、双葉町を見ていられないぐらいになってもよいと思っています。 一編集者として、関係人口の皆さんをお連れする立場の仕事をベースとした滞在ではなくて、普段着の一個人としての自 分がそこに居ることを発信することが大事ではないかと思っています。 だたその時にふたつプロジェクトにしたいと思っているのが、双葉の町の中にはいくつか川が流れているのですが、そのうちの前田川は上流から下流までの流域圏が市町村の中で完結している川です。なので、その流域圏の初めから終わりを短い釣り竿を持って歩きたいなと思っています。ネットで昔前田川で釣りをしたというご年配の方の記事を見たりしたの で、じゃあ今の前田川がどうなっているかを発信すると、これまでの普段を改めて僕が追体験というかたちで発信すると、 前田川の変わらない何かを皆さんに感じてもらえるのではないかと思ったりしています。 僕はジム・ジャームッシュ監督やヴィム・ヴェンダース監督の世代なので、ジャームッシュ監督の映画が大好きなんですよ。 アメリカのサックス奏者のジョン・ルーリーが彼の映画のキーパーソンとして出ているのですが、ジャームッシュ監督が 制作したカルトテレビ番組で、フィッシング・ウィズ・ジョンという番組があって、これは実は日本人のプロデューサー も関わっているのですが、ただただ鮫を釣りに行くとか、シンガーソングライターでもあるトム・ウェイツと一緒にジャ マイカに行って、ひたすらポーカーをしているという、釣り番組じゃないじゃないかという番組が制作されているのですが、 まさにこれをやりたいんです。嶋田さんが中日にいらっしゃるのであれば、僕がフィッシングガイドとして全部用意しま すので、ふたりでたわいもない話をしながら釣りをするという、そういうことをできたら面白いんじゃないかと思っています。一時間ぐらい釣りをしたら何かは釣れると思うんですけど、その前に現地は見ておきますので。



嶋田 やりましょう!



指出 あと昨年末に双葉町ではツキノワグマの親子が目撃されているんです。その注意看板を見かけるのですが、僕はも ともと山歩きと釣りをメインコンセプトとした山と渓谷社という出版社で大学時代からアルバイトをしていて、そのまま 編集者になったんです。なので趣味というか、生き様として山と魚釣りにしか興味がない人間なので、ツキノワグマにと にかく会いたいくて 30 年ぐらい東北の山々を歩いたり、釣りをしたりして回っています。去年は何度もツキノワグマに会っ たので今僕はツキノワグマにすごく好かれている気がするので、ぜひ双葉町で会いたいです。皆さんには安全なところで 遭遇の話を読んで楽しんでいただけたらと。あと、日本の未来を背負っている嶋田さんにお付き合いいただくつもりはも ちろんありません。笑 僕はとにかく会いたいので。もしかするとまだ冬眠しているかもしれません。 そんなふうに普段を持ち込むをテーマにしたいと思っています。


発信に関してなのですが、実際に塩井さんも道山さんも寺本さんもすごく素敵な活動をそもそもなさっていて、皆さんが 双葉への思い、優しさ溢れる思いのもと素敵な作品を作っていらっしゃるので、そもそもそれが発光している、つまりそ れ自体がエネルギーなんだと思うんです。なのですでに何かに届くことしか想像できないので、そんなに心配しなくてよ いと思います。誰かが見つけて面白いよと言ってくれる発光体だと思いますから。そういうことをどう求めている人に届 けるか、メッセンジャーのメッセンジャーとしては何ができるのかを僕も今考えているのですが、例えば僕が普段の発信 の中に皆さんの発信を入れ込むことで、チャンネルの違うコミュニティやクラスターに届くことも考えられるので、そう いうやり方で数珠繋ぎにしていくのがよいのではないでしょうか。声を大きくすると 3 月 11 日だからとか、そういう枠に ハマってしまう気がするので、淡々と広がる方がいい。嶋田さんや林さん、村山さんがやっていらっしゃるチャンネルで 少しずつ取り上げていったら、それだけで広がっていくのではないでしょうか。



嶋田 ありがとうございます。この仕事の依頼が復興庁というお役所から引き受けていて、発信ということを業務として 捉えている特性上、何かしらのプラットフォームをつくって届けなければと思いがちなのですが、指出さんのお話を伺っ ていて日常を持ち込むことが重要だなと認識しました。 塩井さん、道山さん、寺本さんも日常の延長上で行ってみて、それが皆さんの言葉で発信されていることの方が届き方と してよいのではないかと思いました。また皆さんと相談しながら、発信のあり方を考えたいと思います。ありがとうござ います。ここまでのところで、林さん、村山さん、いかがでしょうか。



村山 ありがとうございます、皆さんが感じだことをシェアしていただき、とても素敵な時間だったなと思っているので すが、指出さんがおっしゃっていた数珠つなぎにしていくって大事だなと思っています。こういう話は、大きくすればす るほど、スペシャルにしていけばいくほど、みんなが自分ごとにしていけないように思うんです。特に私は当時高校生だっ たこともあって、すごく遠い存在、自分が関わってはいけない自分ごとにしてよいのかという感覚があって、そういうス ペシャルすぎる感じがこれからの私よりもっと下の世代に伝えていくにあたって、変えていかなければいけない、次のス テップに進まなければいけない時がきたんだなと思いました。 そういう時にどうしたらよいかを考えた時、ここにいるメンバーそれぞれが 5 人ずつに話すとか、そしてまたその人たち が 5 人ずつに話す。そういうことでしかちゃんと向き合う状況をつくる広がりはつくれないのかなと感じていて、そうい う意味で私もどんどん発信していきたいなと思いました。ありがとうございます。



 皆さん真摯に考えていただき、また表現をしてくださり、ありがとうございます。私は仕事の特性上もあるのか、じゃ あ実際に何をすべきかと考えてしまう癖があって、その手前で立ち止まるようなことをいつも意識しないとついついソ リューションぽくなってしまうという問題を抱えています。そういう意味では皆さんのような方が素直に感じ取るものを 伝えるかたちには大変期待をさせていただいています。 僕が好きな話で、アメリカ西海岸に、建築として有名なシーランチという場所があるのですが、そこの土地を手に入れた あるディベロッパーが 1 年間そこに通い続けて夕陽を見ながら座り続けたっていう話があるんです。結果どうなるかとい うと、建てない結論に達するんです。そこから時間をかけて最終的には建てるプロセスはあるのですが、建て方の基本的 な哲学がそれぐらい時間をかけて通った結果としてソリューション的ではないところから出来上がっていく。そういうこ とが双葉町にいくと思い浮かんで、自分もそういう意識を持って眺めたりしながら関わりが持てたらと思っているのです が、ちょっとそれに近い感覚を呼び起こされた気がします。



嶋田 ありがとうございます。佐々木さんは最後にお話を伺いますね。今回の取り組みの中で、将来像がどうあるべきか、 答えを出さないといけないんじゃないかみたいなのは僕も林さんとよく話しているのですが、正直よくわからないんです よね。どうしていくのがよいか、どうなっていくか分からないんです。 そういうものに対して、今の段階はよく分からないものをよく分からないまま置いておく。で、やりながら考えていく。 これまでの復興のあり方とは全然違うし、計画できないもの、ことがいっぱいあるなと思いました。 それでも何かこんな可能性があるんじゃないかというのはずっと考えないといけないし、原発の事故の問題もそうですし、 10 年間帰宅困難地域になっていて戻れない人たちがいて、いまだに戻れない場所がある現実もある中でどうするかを考え ていかなければいけない。 昨日娘の中学校の卒業式の中で、校長先生が福島県双葉町のことを伝えていて、考え続けていかなければいけないとおっしゃっていた言葉には重いものを感じました。



ーー今回の滞在を通して、双葉町の未来についてどんなイメージを持たれましたか?


嶋田 最後に、これまで双葉町に関心を寄せてこなかったという話もお聞きしましたが、今回の滞在に際して双葉町につ いていろいろとイメージを持たれたと思うのですが、イメージしたことと実際に現地を訪れてみた時のギャップであった り、現地を訪れてみてこんな可能性があるんじゃないかとか、あとは皆さんがすでに発信されているメッセージに対する 思いなど、その辺についてをお聞きできたらと思います。ではまた塩井さんからお願いします。



塩井 今僕がアウトプットとして製作している作品についてこの機会にお話しできたらと思います。 まずイメージしていたこととのギャップですが、10 年間立ち入ることができなかった場所なのでゾンビタウンのようになっ てしまっているかと思っていましたが、すごく洗練された建築がたくさん建っていましたし、海も非常に綺麗で、空が開 けていて綺麗で、フラットな波動を土地から感じました。何もない、ゼロに戻ったという感じでしょうか。そういった感 じは九州の海では感じたことがなくて、歴史が深く、神話が発祥している場所でもあったりすることがあるからなのか、 そういったところからすると非常にフラットなまちだなという印象を受けました。


可能性のことを考えると、今双葉町は公共事業が盛んで、公園をつくったりいろいろな建物をつくろうとしているのを見 ましたが、そのことを手放しで喜べる感じはしませんでした。復興支援金がどれぐらい入っているのか、使わなければい けない状況のことは分かりませんが、肌感覚としてはこれ本当に要るのかな?と。道路を整備して廃屋を見学ができるよ うにするツアーなどをするのは可能性があると思うのですが、こうなってしまったことは世界的にみても珍しいので、そ れを有効活用する、ビジネス的にいうとコンテンツ化して観光資源としていく方がよいのではないかなと思いました。な ので、双葉町に住んでいた 7,000 人という人口に戻していくというよりは、滞在して震災のまちを見学できるような宿泊 施設をつくるとか、その程度に留める。日本はただでさえ人口が減っているので、そこにリソースを割くのはどうかなと、 いき過ぎた公共事業には危険を感じました。


メッセージに込めた思いとして、自分がこの滞在を経てどういったアウトプットをしていくのか、今考えている資料を共 有します。



普段は海の写真を撮ってきてそれを和紙に印刷して、それを石に貼り付けて作品としています。

普段やっていることを双葉の海で再現しようと思っています。

海が持っているエネルギーを、昔ここに住んでいた住人の皆さんに届けたいなと思いました。


この滞在を通して、故郷に帰りたくても帰れなかったとか、移住先で第二の故郷を見つけて双葉に戻らないことを決めた 人たちがいるので、そういった方々に双葉を忘れないでほしい。いつまでも皆さんを海が見守っているんだよというツー ルとして作品を届けたいなという気持ちです。 最終的にどうなるかわかりませんが、元町民の方々にできるだけたくさん届けたいのと、ここを観光で訪れる人たちに双 葉の海の光を石にしたもの渡してそれぞれの場所に持って帰っていただき、たとえば家にそれがあることで双葉のことを 人に話してくれるきっかけとなってくれたらと思っています。 じゃあこれをどういう風に届けるかは今課題で、それを嶋田さんたちと一緒に考えていけたらと思っているのですが、今 のところふたつパターンを考えていて、ひとつはアクリルケースに作品を入れてそれを双葉町の市役所か神社か、協力し ていただける場所に置いて、訪れた人は双葉町での何かエピソードを書いていただくとそれと作品を交換できるという仕 組みにしてやることができたらよいのかなと思っています。現地に行ったらこの作品が手に入る。お金の売買ではなく、 エピソードト交換することで、渡すことができるのではないかと。最初はこの作品がたくさん詰まっていたボックスが、徐々 に作品はなくなるけれど、代わりにエピソードの手紙が残っていって、それらをアーカイブ化して冊子にしたり、HP など で紹介をしていったりすることができそうだなと。 もう一つはオンラインフォームでエピソードを募って、そこに住所などを書いていただければ提出者に写光石をお届けす ることもできるなと思っています。 どうやって届けるのがよいか、あと何個つくるかもまだ検討中なのですが、その辺を今から詰めていこうかと思っています。



嶋田 ありがとうございます。これはぜひ考えていきましょう。では道山さんお願いします。


道山 今日は本当によい時間をありがとうございました。私は現地に行ってどうしたら良いかをわからないと連呼してい たのですが、そこから始めていこうよということを皆さんが共有してくださっていて、一人の思いではなかったんだなと 感じて温かい気持ちになりました。

ひとつお話しお i のですが、2019 年に公開された「盆唄」という映画をご存知の方いらっしゃいますでしょうか。双葉町 に伝わる「双葉音頭」というものがあるのですが、それが実は富山から伝わってきたもので、相馬藩が危機になった時に 伝えられたと言われています。震災時にコミュニティがなくなってしまったこともあり、この双葉音頭が存亡の危機になっ たのですが、双葉町の初発神社の横山さんという方が中心になってハワイに移民していた人たちにこの双葉音頭を伝え、 50 年先までハワイの人たちに実際に踊って守ってもらい、双葉町がまた住めるようになったら、改めて伝え直してもらおう。 そういった内容の素晴らしい映画なのですが、それを 5 年前に見て、その印象もあってなかなか住むに住めない状況なの だなということも知ったのですが、その託した先のハワイでも火事が起こったり、大切なもの、守りたいものを守るのは 大変なことだというのを感じます。

そういう時にどうするかと考えて僕が伝えたいと思ったのは、この問題は双葉や東北地方だけの特別な問題ではなくて、 普遍的な問題なのだなということです。すべての人にとって故郷を残すこと、もしくは故郷に別れを告げること、それは どういうことなのかをみんなで考えていく話なのではないかと思うんです。彼らの故郷の話ではなくて、我らの故郷の話 だと思います。双葉町は今、まちというかたちがなくなってしまったが故に地域そのものがすべての人の故郷になったと いうことができるんじゃないかと思うんですね。 今日皆さんのお話を聞いていて、プロジェクトを発信するかたちのところからではなくて、それぞれが正直に思ったとこ ろから進めていくことが、未来へと通じるありようではないかと思います。

私は 5 年前から故郷である福岡県大牟田市でも活動しているのですが、ここにも炭坑節という盆踊りが脈々と受け継がれ ており、自分自身も小さい頃から触れていたのでその振り付けをやったりもしています。大牟田のまちは最盛期の人口か ら半減して 10 万人程度になってしまっているのですが、戦中戦後の経済を命懸けで支えてきたこともあり人の痛みがわか るまちであり、それが強みなのではないかと思っています。今、ここで関係人口を増やそうという取り組みに少しでも役 立てたらと思い関わっているのですが、プロジェクトを立ち上げて何らかのセオリーに基づいてやっていくのではなくて、 一人一人が自分ごととして、一人称でまちのこれからに関わる大切さを感じているところです。 双葉というまちにおいても、それぞれが一人称で、それぞれの主語で発信していく。それが双葉だけではなく、みんなにとっ ての故郷の話なのだということが伝わっていくとよいなと思いました。

最後に、滞在中の最後に書いた短い詩を読ませていただけたらと思います。



そして今日も


僕にとっては初めての海だけど、誰かにとっては懐かしい海

人が去り静けさが残る

だから僕は風の声を聞く

海の歌を聞く

空からの光に包まれる

カラス、ひばり、鳥たちと会話する

いつでもみんなが帰ってこられるようにと社を守る人がいる

一日中、手水の水の音を聞いて過ごす人の心の底からの清らかさ

水はもう湧き出している

止まることなく

そして今日も陽はのぼる



そして今日も、そんな気持ちでこれからもやっていけたらと思います。ありがとうございます。



嶋田 ありがとうございます。では寺本さんお願いいたします。



寺本 道山さんが読まれた詩や塩井さんの石に写真を転写する方法とか、僕はアウトプットの手法が違うとは思うのです が、同じところに立っている印象を感覚的にいただけたのが自信になるというか、自分のアウトプットも同じように勇気 をもらいながらチャレンジしたいと思います。 ギャップ、違和感に関しては、双葉町に行く前にとにかくまちについてをリサーチして、地図もよく見ました。廃墟になっ ている建物が多いとか、時間が止まったようになっているなどのレポートをたくさん見て、そういう風に静かな廃墟が多 数佇んでいるのかなと想像して現地を訪れてみたら、どこもかしこも解体中で、重機がまちを走り回っていて、工事中の 近代的な風景がそこにありました。 これは批評ではないのですが、伝承館や復興記念公園などなど、立派な建物についても実は理解できていなかったので、行っ てみて新しい絵がどんどん描かれているのを知って違和感を感じました。 僕は建築家なので、本当は今建物ができていることを肯定していく側に立たないといけないのかもしれないですが、ただ、 未来の絵を描くということが、なぜ新しく生産された絵を描くことでなければいけないのかというのを違和感として感じ たんです。そういう問題意識をさらに強く持つことになりました。非常に近代的な原理に基づいて復興が進んでいるとし たら、何か私なりのメッセージをオルタナティブに与えたいと思いました。 その次に可能性について考えました。僕は建築の事務所をやっているのでスタッフとふたりで足を運び、千葉から 5 時間 ぐらいかけて車で移動している間は将来のことについてずっと話をしていました。50 年以上先のことを考え、向き合い、 話し続けることを 3 日間やってみると、双葉町の 50 年を考えるように言われた時に、それはもう双葉町固有の未来を考え ることではなくて、日本のさまざまな地方のこと、将来の風景を考えるのと近い感覚だなという気持ちになりました。 というのも、今私がいる千葉県勝浦市も 20 年以内に人口が半減すると言われていて、この場所に居ると自分のライフスパ ンの中で少子高齢化と過疎化が生み出す風景を確実に見ることになるなと思っているんです。双葉の場合は特に縮退する 地方都市の先頭を走ることになってしまったわけで、そう考えると、双葉の未来を考えることは日本の地方都市全体の先 端的風景と近いと思ったんです。であれば、未来の風景というものをできればつくったり守ったりする側に立てるとしたら、 どのようにその風景を紡いでいくかを考えたいというのが結論です。それは方法として僕が新しいパースペクティブを描 く以前にやらなければいけないリサーチみたいなもの、それ自体がメッセージになると考えています。要するに 50 年前か らある風景とそこへの眼差しを、50 年後の風景に重ね合わせたい。そうすると 100 年間のスパンになるので、このスパン に近代的ないろいろなことが起きた。でもそれはある意味、誤解を恐れずに申し上げるなら近代的な事象が一過性のもの としてあったということではないかと。 できるだけ長いスパンで風景を見る時に、僕がそういう風に感じることができるのかというチャレンジを自分のアウトプットを通して考えたいと思っています。それが可能性に関係してくるのではないかと思っています。



嶋田 ありがとうございます。僕たちも今の双葉町の現状はこれからの日本国内のさまざまな場所で起こり得ること、つ まり時計の針を進めた状態に向き合っているという認識、スタンスを持っているので、とてもよいお話でした。では最後 に指出さん、双葉町の今の現状での可能性や感じること、会の感想など聞かせてください。



指出 はい。僕は北関東の群馬県出身で、自分の故郷のことを振り返った時、国道という場所が思い出の中にいっぱい入っ てるんです。仲間と一緒に街道沿いを歩いていた記憶や、通勤通学の記憶などです。これは東京の人たちだとなかなか感 じ得ない感覚ではないかと思うのですが、もしかすると双葉町の人たちもまちに通る国道 6 号線の風景の記憶が心の中に 色濃く留められていのではないかと思います。今そこはフラットで広大な土地になってしまっていますが、震災以前の記 憶には彩やかなロードサイドの風景があるのではないかと想像しているんです。そういう意味でのギャップ、僕たちには 双葉町の道路を通る時には見えている風景そのままに何も見えないけれど、双葉町の皆さんが通る時には、厳然と記憶に 刻まれた風景がそれぞれに蘇っているのではないかと。それをギャップと言えるのかわかりませんが、その記憶の中の風 景は大事にしなければいけないなと思います。

東日本大震災から 13 年という年月が流れ、例えば気仙沼や石巻に新しく関わりを持ってやってくる若い皆さんからしてみ ると、復興のフェーズというのは自分の興味や衝動のきっかけにないです。その前に復興ボランティアなどで入ったその 当時の若い世代がつくったおでん屋さんやスタンドバー見たいなものがあって、面白いまちが立ち上がってきていること を考えると、これは可能性として、復興のボランティアではない人たちが現れるタイミングに入りつつあるのではないかと。


復興という言葉そのものが強い言葉なので、復興はまだ終わらないとよく言いがちなのですが、それを言うと入ってこな い人たちがいることを知っておいた方がよいと思うんです。復興も大事だけど、復興と言った途端に入ってこない若い世 代をどう仲間にするのかが大事なことで、今日メッセンジャーの皆さんと話をしたことは、おそらく復興の次の未来に興 味を持つ人たちにどう届けられるかがキーになるんだろうと感じました。 僕は今福島未来アカデミーという場所で関係人口の講座?を監修させていただいているのですが、東京草創化計画?とい うプロジェクトを行なっていて、そこに関わる若い人たちにすごく楽しい、地域のことを愛してると表現する姿があるこ とを考えると、双葉町でもそういったことが起きてくるタイミングがあるのではないかと、そういう可能性を感じています。




嶋田 ありがとうございます。皆さん今日は本当にありがとうございました。とても素敵なお話をたくさんいただいてと てもよい時間だったなと思います。 最後に、佐々木さん、このメッセンジャー・イン・レジデンスの取り組みについてや、今まで双葉町でやってきたことなど、 皆さんのお話を聞かれて感じたことなどお話いただけたらと思います。通常の国が進めていく復興とは違うかたちの取り 組みだと思いますので、佐々木さんのご意見を最後に聞かせてください。



佐々木 本当にありがとうございました。私も国土交通省で東日本大震災の後復興に関わってきまして、双葉の実態を見 て正直どうして良いかわかりません。今もそういう気持ちです。嶋田さんや林さんや村山さんが一緒にサポートしてくだ さっているのも、国も立派な復興計画や都市計画をつくりますが、実際はどうしたら良いかわからないということを正直 に申し上げて、今までのように大きな公共施設をつくったりするだけでは解けない課題に対して、さまざまな方から知恵 やアイデアをいただいてもがいているというのが現状です。 今日のお話はすごく心に響きましたし、反省することもあるのですが、皆様の活動やお仕事といった中にある新しい視点、 今までの行政の復興計画では実現できない切り口とそれに対する協力の輪がラストランナーとなってしまった双葉町の未 来を切り開いてくれたらよいなと思って聞かせていただきました。 いろいろ行政がやっていることは偉そうで、わかったふりをしているように見えてしまうことが多々あるかと思いますが、 実際はわからないことばかりなので、助けていただきたいなという気持ちでいっぱいです。決して偉そうな立場ではなく、 行政側から皆さんと連携して助けていただきたいと思っていますので、引き続きご支援やアイデアをいただけたらと思います。



嶋田 ありがとうございました。皆さん本日はお忙しいところお時間をいただきありがとうございました。皆さんのお話 をお聞きして、今回はこれを企画してよかったなと思っていますし、アウトプットが人に届いていくと次なるアクション も出てくるでしょうから、それを楽しみにしています。本当に今日は素敵な時間をありがとうございました。

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