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劇作家 石神夏希|双葉町に滞在して、素直に感じた何かを形にできたら|双葉町メッセンジャーインレジデンスレポート#5

2024年11月20日

2011年3月の東日本大震災とともに起きた福島第一原発事故により、全町民が避難を強いられた双葉町。2022年8月30日に11年の時を経て部分的に避難指示が解除され、再び人々が住み始めたこの地域は、「今までの延長上にない未来へ」と新しい物語を始めようとしています。


メッセンジャーインレジデンスプログラムは、アーティストや写真家や編集者など、独自の視点を持つさまざまな個が"メッセンジャー"となり双葉町を訪れ、感じ取った体験を作品などにして残していく、「ヒラクフタバ」プロジェクトによる取り組みです。今回は、劇作家の石神夏希さんにインタビューをしました。


「ヒラクフタバ」プロジェクトとは、「被災地から、可能性の新天地へ。」を掲げてさまざまな人達の間に議論やアクションを生むことを目指す発信活動。https://www.hiraku-futaba.jp/


石神夏希 ISHIGAMI Natsuki|劇作家。国内外で都市やコミュニティのオルタナティブなふるまいを上演する演劇やアートプロジェクトを手がける。「東アジア文化都市2019豊島」舞台芸術部門事業ディレクターおよび『Oeshiki Project ツアーパフォーマンス《BEAT》』作演出、「2019台北芸術祭ADAM Artist Lab」ゲストキュレーターなど劇場の外でさまざまなコミュニティと協働しながら活動を展開。2020年より静岡に移住。静岡市まちは劇場『きょうの演劇』企画・ディレクター(2021年度)、SPACー静岡県舞台芸術センターの委嘱による『弱法師』(2022)、『お艶の恋』(秋→春のシーズン2023-2024)『かちかち山の台所』(ふじのくに⇄せかい演劇祭 2024)など地域に根ざした活動に注力する一方、日タイの国際共同制作「パラレル・ノーマリティーズ」など静岡と海外の地方都市とを結ぶ創作活動も展開している。

ー質問1

津波で家を失った方々が集落ごと高台に防災移転をする状況が始まっているのだけれど、行政主導や民間主導のものがある中で、彼が関わっている集落は民間主導であって、住民の皆さん自身で土地を探して交渉したと。そのうえで移転先の住宅地の設計は行政やコンサルが図面を書いているが、住民側に寄り添って、住民自身がどんなまちにしていきたいか考えたり、意思表明したりするサポートをしてくれる建築家が必要なのだと彼は話していました。私は演劇活動の傍でリノベーションやまちづくりの仕事にも関わっていて、建築家と協働する機会があり、そういう人たちを知っているのではないかと連絡をくれたんです。そこで知り合いの建築家の方たちにこの話を相談し、私も含めて 4、5 人のチームをつくって気仙沼に何年か通い、集団防災移転にあたって皆さんのお話を聞きながら新しい集落の設計や住宅再建をサポートする活動をしました。震災後自分の軸足がそちらにいってしまったので、福島は通過するだけで、降りることがなかったなと今回滞在しに行く道すがら思いました。



ー質問2

演劇やアートプロジェクトのイベントを通して行きました。アサヒビールが全国各地の地域に根ざしたアートプロジェクトを支援する「アサヒ・アート・フェス ティバル(AAF)」に参加していたのですが、地域間交流通して1 年に一度プロジェクト関係者が大集合する機会があるのですが、その会場が福島県のいわき市だったりしました。

あとは 2018 年、やはりいわき市の泉地区で市街劇が行われているのを観に行きました。市街劇というのは日本では寺山修司にルーツがあり、この系譜にある作品形式として、最近はツアーパフォーマンスといった言葉を聞いたことがある人も多いと思います。私自身もツアーパフォーマンスをいろいろな場所で上演してきました。このときは別の作家の作品でしたが、まちの中を参加者自身が回遊する、そういった劇を泉地区でやっていたのを観に行くために訪れました。




ー質問3

私は 2 月末に行く予定だったのですが、体調を崩して日程変更をしたため、滞在が少し短くなり、2 泊 3 日になりま した。静岡から電車で向かって、現地に着いたのが 16 時半ぐらい。まだ陽が落ちる前だったので、自転車でまちを回ったりしました。宿泊したのが伝承館や産業交流センターの向かいのホテルだったので、そのあたりを自転車で回りましたが、シェアサイクルがあってすごく助かりました。日程変更したことで、ヒラクフタバで対応いただいていたアテンドの方とタイミングが合わなくなり、滞在中は基本的に一人でした。車が運転できないのでシェアサイクルで 3 日間まちを回りました。2 日目は伝承館が開くまで今整備されている復興祈念公園の中にある中野地区の集落跡を歩きました。


津波に流されず残っている家や、再建された神社があります。 家は残っているといっても 1 階部分は津波で損壊し、2 階がかろうじで残っている状況で、津波の威力を物語っています。そのあと伝承館を見学し、その後は震災遺構として保存されている請戸小学校(浪江町)の方に行ったり、両竹地区の皆さ んが避難したという高台にある神社に行ったり、基本的には沿岸部を回って見てきました。海からの強い風に煽られて自転車を降りて歩くしかなかったり、キツネやキジに遭遇したり、道路や区画の工事が進行中でgoogle mapに表示されたルートが通れず遠回りしたりと、土地柄や現在の状況を体で感じられたのはよかったと思います。



3 日目は駅の方に行けていなかったのでそちらに赴き、双葉町に電車で来る時に車窓から見えて気になっていた駅の西側をぐるっと回って見てきました。 今回はメッセンジャーとして何か残してくださいとのお話だったのと、記憶が薄れてしまうのも怖かったので、夜に日記を書いて自分の記録として SNS で発信していました。実際に訪れる前のイメージとのギャップは、想像以上に人がたくさんいたことです。以前のまちと比べたら全然少ないのだと思いますが、産業交流センターでは連日勉強会が開催され、若い人たちが たくさん集まって話をしている様子も見られましたし、車もたくさん停まっていました。自分の中で双葉町の状況をキャッチアップしていなかったのもありますが、まちに新しい建物が増えている風景を意外に思いました。


2 日目がいちばんさまざまなところを回って災害の状況に触れることができた時間だったのですが、その夜は自分の中にドシンときたものがあって眠れませんでした。短時間で一気に情報をインプットしたことや、滞在中一人で誰とも感想や意見を話し合えない環境だったこともあり、受け取ったものの大きさや重さを処理しきれなくなってしまったのです。震災後十年以上経った状況で、被災していない私が当時の記録や記憶に触れてあれだけのダメージを受けたので、避難しながらも十年以上関わってきた人たち、災害に遭われた当事者の皆さんの負担や心の傷はいくばかりか、ほんの少しですが想像できました。今回そのことに気が付く機会をいただいてよかったなと思いました。


私は子どもが 3 歳なのですが、いつか双葉町に連れてきたいと思いました。これから先、私より長くこの世界で生きていく子どもがこの場所に来る必要があると思ったんです。一緒に行って話をしたり、私もそこでまた感じられるものや気づくことがあると思うし、そういう時間の中でに未来の可能性が見えてくるのではないかと思いました。



ー質問4

今日ここで話していて改めて思うのですが、双葉町のことを話す時って何か緊張感がありませんか。

だから皆んなが話せない側面があるように思うんです。もっとカジュアルに双葉町について話せることが大切なのではないでしょうか。 滞在中、毎日日記を書いて SNS 発信することを課して夜に 3 時間ぐらいかけて日記を書いていたのですが、間違ったことを書いちゃいけないとか、アホな思いつきがあっても書きづらくて、発信する際にはかなり緊張感がありました。でも、いろいろな人がもっと自由にアイデアや思いを表現できる状況にしていくことは大事だと思います。 今回私が伺った時、思っていたよりたくさんの人を見かけました。伝承館では高校生だけのグループを見かけましたし、産業交流 センターでも大学生らしき子たちのグループがお昼ご飯を食べていたり、フタバスーパーゼロミルでは子ども連れのお母さんたちがカフェに来ていたり。駅の西側の住宅にも家族連れが訪れていましたし、外国から来ている人もたくさん見かけて、正直驚きました。原発事故のことを忘れずに考えていくことは当然大切だし、それを考えさせられる場所であるということに価値を感じている一方で、事故当時の記憶があまりない若い人たちが、素直に感じた何かを形にしていける空気も、これからの未来を思うとすごく大切だなと思うんです。絶対に忘れてはいけないことがここにはあるし、真面目に向き合い続けることも大切だけど、一方で自由な発想や発言をできる空気感をどうつくれるのか。これからの双葉町には必要なことだと感じました。

双葉町はこれから、「ここだからこそチャレンジしたい」と思う人が絶対に集まってくると感じましたし、そういう人たちがこれからこの場所 の可能性を広げてくれるポジティブな可能性も素直に感じました。楽観的かもしれませんが。事故直後にアクションを 起こしたり、社会的に声を上げた人たちもいますが、十数年経ってやっと人が入れるようになった時に双葉町に縁ができた人もいて、その人たちだからこそ果たせる役割もあると思うんです。


グリム童話の『眠り姫』では、姫の誕生祝いに集まった魔女たちが贈り物として良い予言を授けるのですが、そこに招待されていなかった魔女がやってきて「王女が死ぬ」という不吉な予言をします。そのときまだ予言をしていなかった12 人目の魔女が、悪い予言を覆すことはできないけれど、軽くすることはできるといって「王女は100 年後に眠りから醒める」と予言するくだりがあるんです。 今このタイミングで、こうした明るい予言を言ってみるということも大事だと思いますし、それを言える空気をつくる。


ちなみに、先ほど田村さんから持ち帰れるものというお話がありましたが、産業交流センター1階にある「サンプラサふたばでお土産品を見ていた時に、青年婦人会館 の中にあった「せんだんの湯」の温泉の素を見つけて買いました。そしてそのパッケージの裏に、「せんだんの湯」は双葉 町青年婦人会館内に存在した温泉であったこと、小さいながらも町民の憩いの場になっていたこと、原発の事故で閉鎖さ れて 2022 年時点で再開の見込みが立っていないことなどが書いてあって。こういう手渡せるものがあると双葉町の話がカジュアルに始められます。もちろん再開の見込みが立っていない事実は重いですし、カジュアルで終わったらダメなのですが、でも入り口としてカジュアルで、誰でも話ができるコンテンツがあることがよかったのでご紹介します。


ーインタビュアー

ありがとうございます。僕も個人的に他の地域で特に過疎地域でどうしたらよいかわからない時って、ある意味ふざけてアホになってみることが結構大事だなと思っているのですが、双葉町だとそれが許されない感じがあるというのは共感します。わからないことが多すぎて、腫れ物に触るかのように接しなくてはいけないんですよね。 だけど今の石神さんの指摘はとても大切なことだと僕も思っているので、チャレンジできたらと思います。


今回のメッセンジャー・イン・レジデンスという企画をきっかけとして、ここを訪れたいと思うアーティストは増えると思うので、双葉町にアートセンターがあったらよいですよね。自分もそんなことに関われたらと思います。私たちが地域に赴いて作品をつくる時に、その土地でのリサーチをもとに

作品のタイトルをつけるところから始めるのですが、 その時にバシッと本質を言い表すことは実は大事ではなくて、ちょっと外すのがコツなんです。ちょっとボケる。そうすると、 逆に地域の方や関係者の方たちが「いやいやちょっと待って」とそれぞれにいろんな意見を言い始めてくれます。そういう「隙」をつくる。正しいことをバシッと指し示すのではなくて、ちょっと外してボケることで、ワイワイと対話が引き出されていく中から、ヒントや場が生まれてくるとよいですよね。ヒラクフタバもそういうきっかけづくりとしてあるのではないかなと思って拝見しています。

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